公園・庭園編…江東区にある名称は、どんな由来、歴史があるの?

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横バー

江東区の公園・庭園の由来

横バー
江東区にある名称は、どんな由来があるの?
園名よみがな
  公園名 ふりがな コメント
荒川・砂町水辺公園 あらかわ・すなまちこうえん 江東区の東の端、広大な荒川の河川敷を整備して作られたのが、この荒川・砂町水辺公園です。対岸はもう江戸川区、荒川の中ほどを首都高速が走り、美しい姿の葛西橋や、南には地下鉄東西線、清砂大橋、さらに河口にかかる荒川湾岸橋が望めます。春の暖かい陽だまりの中で、夏の夕暮れに川面をわたる涼風を肌に感じながら、そして秋には色とりどりの花に囲まれて、美しい景色をお楽しみ下さい。テニスコートなどもあり、ジョギング、サイクリングなどで荒川の風をうけながら心地良い汗をかいてみたらいかがでしょう。
今や江東区の夏の風物詩にもなっている、砂町の花火大会。夕暮れ近くなると見物の人が集まり始め、花火の始まる頃には河川敷のスタンドはもう満員。荒川に浮かべられた台船の上から毎年2,000発規模の花火が打ち上げられ、夜空を彩り、荒川の水面に映ります。
永代公園 えいたいこうえん 隅田川にかかる永代橋の袂にある公園
越中島公園 えっちゅうじまこうえん 隅田川にかかる相生橋の袂にある公園
大島小松川公園 おおじまこまつがわこうえん 旧中川をはさみ江東区と江戸川区にまたがる江東地区の防災市街地再開発事業により、設置された公園です。江東デルタ地域の東端に位置し、平常時はレクリエーションの場として利用され、災害時には20万人の避難広場となります。運動施設を中心としたスポーツ広場の一部が開園され、季節の広場、風の広場、わんさか広場が暫定開放されています。
大島緑道公園 おおじまりょくどうこうえん 昔の電車敷(専用軌道)の一部区間(堅川人道橋から新大橋通りを経て、公団大島4丁目団地の前で明治通りに合流するまで)を廃止後にそっくりそのまま公園化したものです

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亀戸9丁目緑道公園 かめいど9ちょうめりょくどうこうえん 旧中川土手を利用した公園。
亀戸中央公園 かめいどちゅうおうこうえん この公園は、日立製作所の亀戸工場のあったところを買収し、整備したもので、A・B・Cの3地区に分かれています。
 A地区には、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、子供たちの格好の遊び場になっています。
 B地区には、人工池、流れがあり周囲は芝生の憩いの広場となっています。
 C地区は、運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコートのほか児童コーナーがあり、ターザンロープほか5種類の木製遊具は子供たちの人気を集めています。
亀戸緑道公園 かめいどりょくどうこうえん 昔の電車敷(専用軌道)の一部区間(京葉道路水神森から堅川人道橋まで)を廃止後にそっくりそのまま公園化したものです
木場公園 きばこうえん 木場は、江戸から昭和にかけて、江戸・東京へ材木を供給し「材木のまち」として栄えてきました。
 昭和44年には、江東再開発構想のなかの防災拠点の一つとして位置づけられ、木材関連業者が現在の新木場へ移転したのを機に、水と緑の森林公園として整備されました。
 また、昭和52年には、昭和天皇御在位五十年記念公園として国から指定を受けました。
 公園は、葛西橋通り、仙台堀川によって南、中、北の3地区に分けられており、木場公園大橋が各地区を連絡しています。
木場親水公園 きばしんすいこうえん 木場駅前から北に延びる木場親水公園は、木場の面影を残した情緒あふれる散歩道になっています。園内には木場ならではの彫刻やタイルの歩道が木橋へと続き、柳の木の下には伝馬船が停められています。もちろん子供たちのためには、イカダや広いジャブジャブ池などの水遊び場が待っています。園内を流れる水路の一部は角乗りの練習場となっており、その護岸は、ギャラリーとなって、色とりどりの絵が展示されています。
清澄庭園(公園) きよすみていえん(こうえん)

紀伊国屋文左衛門(~1718年)別邸と伝えられ、幕末まで関宿(千葉県)藩主 久世大和守屋敷、明治になって三菱財閥の岩崎弥太郎(1834-85年)が買収して明治18年に回遊式の築山山水園「深川親睦園」完成。関東大震災で大きな被害を受けたが避難場所として多数の人命を救いました。岩崎家ではこうした庭園のもつ防災機能を重視し、東半分を大正13年、東京市に寄付し名園として都民の憩いの場ととして昭和7年公開した。新東京百景に選ばれている。西半分の敷地は昭和52年開放公園として追加開園した。


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猿江恩賜公園 さるえおんしこうえん

八郎右衛門が新邸を建てた地。のち、幕府や宮内省の貯木場になりました。1733年(享保18年)頃から徳川幕府が材木蔵として材木を貯蔵していた。
現在は埋めたてられ原形をとどめていないが、約5,6ヘクタールの水面が広がっていた
海水と真水が程よく混じり40~50年経っても材木の品質を損なう事無く貯蔵できたという
南側地区は1924年(大正13年)皇室から払い下げられ、1932年(昭和7年)猿江恩賜公園として開園
北側地区はその後も貯木場として使用されたが、1976年(昭和51年)江東区潮見に移転され250年の歴史を閉じた
跡地は東京都に払い下げられ、南地区とあわせて14ヘクタールの公園が完成した

潮見運動公園 しおみうんどうこうえん 東雲北運河と砂町運河に囲まれています。周囲より標高が少し高めになっている。
東雲公園 しののめこうえん 東雲都橋住宅に隣接した公園です。
東雲水辺公園 しののめみずべこうえん 有楽町線辰巳駅から150m西の辰巳桜橋をわたって東雲側たもとにあった公園を辰巳運河に沿って1ヘクタール程拡張した公園。
新砂あゆみ公園 しんすなあゆみこうえん 南砂町駅前広場東側に、“地下”をテーマにしたユニークな区立公園。
洲崎川緑道公園 すざきがわりょくどうこうえん 永代通りの南側に平行して木場駅から東陽町駅手前までの約500mの公園。
仙台掘川公園 せんだいぼりがわこうえん 大横川から小名木川合流点まで総延長3,700m、面積10.4haに及ぶ都内最大の親水公園です。仙台掘川の岸辺には桜並木、花の小径、サイクリングロード、親水池、さらに果実の森、科学の森をはじめとする7つの森が続き、春には桜、夏から秋の果実、紅葉と人々の目を楽しませてくれます。約24,000本の樹木の並ぶ森の間を散策すれば、彫刻、陶芸や護岸ギャラリーなど、数多くの芸術作品にも出会え、豊かな自然と文化の香りが溶けあった憩いの場となっています。

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辰巳の森海浜公園 たつみのしんかいひんこうえん 辰巳の森緑道公園と隣接した緑豊かな公園で、園内の各種ニュースポーツ施設があります。
辰巳の森緑道公園 たつみのしんりょくどうこうえん 東京都江東区辰巳の首都高湾岸線沿いに有る公園です。
堅川河川敷公園
(堅川親水公園)
たてかわかせんじきこうえん
(たてかわしんすいこうえん)
JR亀戸駅の南側、首都高速道路7号小松川線下のスペースを利用して、亀島橋から新六之橋まで約2,100m続く堅川河川敷公園は、都会型の親水公園。9ホールのパターゴルフをはじめ、大人も子供も楽しめるフィットネス広場、ゲートボール場などの設備が整えられています。もちろん水上アスレチック、自然の流れを生かした魚釣場、夏には子供たちの水遊び場になる壁泉など、水に親しめる施設もいっぱいです。横十間川以西は墨田区と共同で堅川親水公園として整備する予定です。
椿園 つばきえん 小名木川と横十間川の交わる所にある。昭和61年11月21日、伊豆大島三原山の大噴火によって全島民約1万人が島外避難する有史未曽有の出来事がありました。その際、本区では区立スポーツ会館を避難所として1074名の避難者の救援に努めました。この椿の木は、避難者の皆様から「お世話になったお礼」にと50本の寄贈がなされたものです。ここに大島島民の厚意を銘記するとともに、伊豆大島の繁栄を祈念して椿を植樹したものであります。
東陽公園 とうようこうえん 東京メトロ東西線東陽町駅西にある公園。滑り台が急角度です。
豊洲公園 とよすこうえん 埋立地を公園にした。
豊住公園 とよすみこうえん この公園の下には大きな災害対策用の大きな水槽がある。

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中の島公園 なかのしまこうえん

中の島は明治36年(1903)、越中島と佃島を結ぶ相生橋が架けられた時に中継地点をなった島です。当時、中の島から佃島側に相生大橋、越中島側に相生小橋の二つの木橋が架けられていましたが、大正12年(1923)、震災により焼失してしまいました。昭和2年(1927)、相生橋の再建の後、中の島は隅田川唯一の水上公園として整備されました。

東砂1丁目公園 ひがすすな1ちょうめこうえん 都営東砂1丁目団地の北にある公園。
東砂3丁目(第2)公園 ひがしすな3ちょうめ(だい2)こうえん 東砂3丁目にある東砂3丁目ハイツの周りにある公園。

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深川公園 ふかがわこうえん 深川公園の旧跡。富岡八幡宮永代寺の庭は、江戸時代に「江戸名所図会」や広重の「名所江戸百景」の中に取材された有名な庭園で、かつては桜と牡丹の名所であった。明治維新後、最も古い公立公園の一つで、園内には、歌仙桜の碑や日清・日露戦争戦死者の碑などがある 。
福富川公園 ふくとみがわこうえん 公園ないのあちこちにたくさんの樹木や木製遊具を取り入れた福富川公園は、平野2丁目と3丁目を流れる福富川と枝川の延長約500mを整備してつくられました。かつて木場であった歴史にちなんで設置された木製ジャングルジムやヤグラ、ケヤキの大木のトンネル、積木の遊具などからは、暖かみのある木独特の手触りが伝わってきます。遊具ばかりではなく橋やイカダなど、随所に木を取り入れ、木の香りあふれる公園となっています。
古石場親水公園 ふるいしばしんすいこうえん 牡丹一町目から古石場二丁目までを流れる古石場川親水公園。水路の両岸には、牡丹町の名にちなんで開かれた牡丹園、子供たちの歓声が響くジャブジャブ池、そしてかつての古石場の面影にちなみ様々な自然石を配置した石の広場などが続きます。護岸ギャラリーやサイクリングロードも設置され、人々の憩いの場として親しまれています。
文泉公園 ぶんせんこうえん 江戸時代には銭座(ぜにざ)の あったところです。江戸時代の寛文3年(1663)から天和3年(1683)まで、ここで 「寛永通宝」という銭が造られていたので、「亀戸銭座」とよばれました。「寛永通宝」の裏には「文」の文字が入っていたので、俗に「文銭」(ぶんせん)と も呼ばれていたそうです。亀戸銭座で作っていた「文銭」がそのいわれです。そこに作られた公園です。(銭→泉)
牡丹町公園 ぼたんちょうこうえん 以前、この地域には、牡丹を栽培する屋敷が多くそこに作られた公園。

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南砂3丁目公園 みなみすな3ちょうめこうえん 東京メトロ東西線南砂町駅東口にある公園。
南砂緑道公園 みなみすなりょくどうこうえん 昔の電車敷(専用軌道)の一部区間(大島緑道公園から明治通りを約1.5km南下した、都営バスの南砂3丁目バス停付近から、永代通り に合流するまで)を廃止後にそっくりそのまま公園化したものです
元加賀公園 もとかがこうえん 昭和2年に作られた公園

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横十間川親水公園 よこじゅっけんがわしんすいこうえん 平住橋から小名木川へ続く長さ約1,900mの親水公園です。横十間川は万治2年(1659年)に開削された川幅約十間(約18m)の川で、江戸城から見て横に流れていたことからこの名がつけられました。その横十間川も今は親水公園として整備され、誰もたのしめるボート乗場や水上アスレチック、野鳥の島など、その名のとおり水に親しめる施設が盛り沢山。野鳥の島の南には、水車小屋、アヒルの池、そして花ショウブの池など生物の楽園がつづき、四季折々の自然が楽しめます。
夢の島公園 ゆめのしまこうえん 運河と水路に囲まれた埋立地に造られた公園です。埋立地として、「夢の島」が生まれたのは1967年。その後、長い間、ゴミ捨て場としてのイメージをぬぐい去ることができませんでした。しかし、今、夢の島公園に立つとき、昔のゴミの山を想い浮かべることはできません。今では、ここは、まさに緑の夢の島であり、熱帯植物館や競技場や第五福竜丸展示館を備えた総合公園となりました。
コロシアムを中心に約120本の桜があり、のんびりと桜が楽しめる他、四季を通じてさまざまな野草が観察できます。
臨海公園 りんかいこうえん 臨海小学校と隣合わせになっています。門前仲町1-1

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若洲海浜公園 わかすかいひんこうえん 元々埋立地であった。若洲海浜公園が造成されている15号埋立地は昭和40年11月に塵芥による埋立を開始し、昭和49年5月に終了し、公園になりました。
参考資料:江東区親水公園ガイド〔2001年1月〕等