江東区にある河川の由来を調べてみました。

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江東区に河川の由来

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江東区にある名称は、どんな由来があるの?
河川名よみがな たなはまやらわ
地名編公園、庭園編河川編橋編
  河川名 ふりがな 歴史
荒川 あらかわ

北区岩渕から東京湾までの荒川は以前、荒川放水路と呼ばれ、昭和40年の河川法の改正により荒川となりました。荒川放水路は人工の川で昭和5年に19年の歳月をかけて完成しました。放水路が出来るまで荒川は都内に入ると隅田川から東京湾に注いでいて、たびたび洪水を起こしました。荒川放水路の開削を指導したのは、 青山士というパナマ運河開削に従事した技師です。

小名木川 おなぎがわ

400年くらい前(天正年間)徳川家康が小名木四郎兵衛に命令して作らせた運河です。由来には諸説あるようです。この運河を利用して千葉県の行徳で作った塩や、近くの村でとれた野菜、東北地方でできた米など、沢山の品物を、早く安全に江戸へ運ぶことが出来ました。又、成田山にお参りに行く人々をはじめ多くの人が小名木川を通っていました。明治時代の終わりから大正時代になると、川に沿って工場が沢山立ち並ぶようになりポンポン蒸気船が工場で使われる原料や材料、作られた製品などを運ぶようになった。1日に700隻位通っていたこともあり川の上で船がひしめき合っていました。しかし、今では工場の数も少なくなり、原料や製品もトラックで運ぶので船の行き来する姿を見ることは出来なくなりました。

このページの上部に戻ります。 隅田川 すみだがわ 北区の岩渕水門で荒川と分かれ、下町を縦断し東京湾に注ぎ込む23.5キロメートルの川。
仙台堀川 せんだいぼりがわ

寛永6年(1629年)に永代島猟師町ができたころ、永代六間堀の一つとしてできた川です。仙台堀川の名は仙台藩松平陸奥守の蔵屋敷が清澄1丁目にあったからです。大正・昭和の時代に砂町の地にL字がたの運河が作られ昔からの仙台堀川とつながりました。小名木川から横十間川までを砂町運河、横十間川から大横川までを十間川、大横川から隅田川までを仙台堀川と呼んでいましたが昭和40年の河川法の改正により砂町運河、十間川、仙台堀川を仙台堀川としました。昭和57年に旧砂町運河と旧十間川に当たる部分が埋め立てられ仙台堀川親水公園として誕生した。この公園の長さは3.7キロメートルあります。

参考資料:江東の昭和史〔1991年3月〕